宮本のやつ

ヘラヘラと生きる人のブログ

れーずんのブログ読書感想文

れーずんのブログの読書感想文を無許可で書きたい。

 

  刹那的に生きているオタクとはいったいどのような存在なのか。彼は自身をそういう存在だと自認している。その彼の刹那さというのをこのブログから感じ取ってみる。

 まず最初の記事。

ブログまた作っちゃった - 雑に日記とか

 どうやら過去にもブログを書いていた経験があるようだ。ついったーを日記代わりに使おうにも遡るの不便、と書いてあるように、彼はこのブログを日記として使用し、時々読み返すのだろう。自身の刹那的と称するまでに疲弊した彼は、恐らく疲れ果て、流れに身を任せるままの受動的ニヒリズムなのだろう。そういった感情により生まれたあらゆる現象を書き留め、それを読み返す事で、彼は何を得るのだろうか。ニーチェは受動的ニヒリズムを、人生の意義や目的を失って刹那的な享楽や絶望へ逃避する態度として批判した。彼もまた、これまでの人生により逃避した受動的ニヒリズムを良しとせず。自らの行いを振り返り、戒め、その時々の流れに身を任せず、己が脚で社会に立ち向かわんと行動を始めた。その最初の一歩がこのブログなのだ。

 

  続いての記事。

物欲に負けてDX150を注文してしまった回 - 雑に日記とか

 自身の自虐から入るあたりは、恐らく先の記事で受動的ニヒリズムからの脱却を誓ったのだが、それに負け、受動的に生きる選択をしてしまった自分を悔いているのだろう。その後の淡々のした商品の説明は一体何なのだろうか。DX150を買った理由のひとつには、おそらくAKjrに満足できなくなった、という部分があると思われるが、ソクラテスは、今持っているもので満足をしていない人は、例えこの先どのようなモノを手にいれようとも満足感を覚えることは無い、という言葉を後世に残した。彼もまた、この先一時的な満足感には浸れる物の根本として満足できることはなく、人生を物欲に支配されることを淡々とした説明分を書くことで表現し、そしてそれを嘆いているのだ。

 

暇だったら追記しテク